復活した芋松温泉

私の地元、京都の中京区・壬生に、「芋松温泉」という風呂屋がある。
長年、ご夫婦で切り盛りされていたが、お二人ともご高齢になられたこともあってか、一旦は閉店していた。昔からそこにあるのが当たり前だった風呂屋だけに、灯りが消えてしまった時には、ひとつの時代が終わったような寂しさを感じたものだ。ところが、その芋松温泉が、若い一人の女性の手によって復活した。
最近、全国の都市部で、閉店した銭湯を若い世代が引き継いだり、新しい形に生まれ変わらせたりする例を、ネットや雑誌、テレビなどでよく見かける。サウナに力を入れるところ、カフェやギャラリーを併設するところ、昔ながらの建物やタイルを活かして若い人にも足を運んでもらおうとするところ。その方法はさまざまだが、単に古いものを保存するのではなく、今の暮らしに合う形に少しずつ更新しながら残していこうという動きなのだろう。
風呂屋と共に、忘れかけていた町内会の良さも、少しずつ再認識されているように思う。効率だけを考えれば、近所づきあいや地域の行事は、手間のかかるものに見えるかもしれない。しかし、同じ町内に住む人たちが顔を合わせ、子供から高齢者までが緩やかにつながる機会は、いざ失われてみると、その大切さがよく分かる。
今回、久しぶりに芋松温泉へ行くきっかけになったのも、町内会だった。うちの町内の地蔵盆に合わせて、町内会から入浴券が配られたからである。
近年、うちの町内でも地蔵盆はどんどん縮小されていた。子供の数は、他の地域からの若い家族の流入で増えてはいるものの、子供がいるにもかかわらず、町内会に加入しない家庭が増えたからだ。準備や運営を担う役員さんの負担を考えると、以前と同じ規模で続けるのが難しい事情もよく分かる。それでも今年の役員さんはよく頑張って、しばらく姿を消していたいろいろな催しを復活させてくれた。風呂屋の入浴券も、そのひとつだった。
考えてみれば、芋松温泉へ行くのは、息子たちがまだ子供だった頃以来である。おそらく25年ぶりくらいになる。自宅からケンケンでいけるほどすぐ近くにありながら、日々の仕事や生活の中で、いつの間にか足が遠のいていた。25年という年月は長い。しかし、入浴券を手に芋松温泉へ向かう道は、昔と全く変わっていない。
リニューアルされた暖簾をくぐり、久しぶりに中へ入ると、入口付近は以前とは大きく変わっていた。昔ながらの番台がそのままあるのではなく、一旦中に入ったところにサロン風のスペースが設けられ、その先から男女それぞれの脱衣場へと別れる構造になっている。初めて来た人でも入りやすく、風呂上がりに少し腰を落ち着けられる、今の時代に合ったつくりである。
ところが、脱衣場から浴室へ入り、その奥へ進むと、時間が急に巻き戻ったような感覚になった。入口まわりは新しくなっているのに、それより奥のエリアは昔とほとんど変わっていない。鏡に入っている地元商店などの広告も、湯船の配置も、記憶の中にある芋松温泉そのままだった。
冷たい水風呂の水は、相変わらず陶器でできたライオンの口から勢いよく流れ出ている。電気風呂のそばに掲げられた効能書きも、昔とまったく一緒である。それらを眺めていると、息子たちを連れて来ていた頃のことや、自分がもっと若かった頃のことが、途切れ途切れに思い出された。
人の記憶というものは不思議である。大きな出来事よりも、ライオンの口から出る水や、壁に書かれた文字、湯船の縁の形といった、何でもない風景の方が、昔の時間を鮮明に連れてくることがある。25年間ほとんど思い出すことのなかった光景なのに、目の前にすると、身体の方が先に「知っている」と反応する。
唯一、大きく変わっていたのは、一番奥の壁に富士山の絵が描かれていたことだ。銭湯の富士山といえば定番のように思えるが、以前の芋松温泉にはなかった。その新しい富士山が、若干違和感があったが、すべてを新しくするのでもなく、昔の姿をただ固定するのでもない。残すところと変えるところを見極めながら、今の芋松温泉がつくられているのだと思った。
深い方の湯船に入り、電気風呂へ移り、酵素風呂で温まり、水風呂で身体を冷やす。それを何度か繰り返した。最近流行りの言い方をすれば「温冷交代浴」ということになるのかもしれないが、昔から風呂屋でやってきた入り方に、あとから名前が付いたようなものだろう。
湯船の中では、特別なことを考えるわけでもない。ただ熱い湯に浸かり、冷たい水に入り、また湯に戻る。その単純な繰り返しのうちに、肩や腰だけでなく、頭の中に溜まっていたものまで、少しずつほどけていく。仕事をしていると、一日中、何かを考え、判断し、次のことを気にしている。風呂屋には、それを強制的にいったん止めてくれる力がある。
十分に温まって風呂から上がり、入口のサロン風のベンチに座った。そして缶麦酒を一本飲んだ。よくよく考えてみると、近所の風呂屋で麦酒を飲むのは、これが初めてである。遠くの温泉地へ行けば、風呂上がりに麦酒を飲むことは珍しくない。しかし、良くここへ通った頃はそもそも未成年であったし、息子たちと来たときにはゆっくりと麦酒を飲むような余裕はなかった。
温まった身体に冷たい麦酒が実にうまい。帰りの運転を気にする必要もない。あとはゆっくり歩いて家へ帰るだけである。旅行先の温泉とはまた違う、近所の風呂屋ならではのぜいたくである。
ここまで何度か「銭湯」と書いたが、私の地元では昔から「風呂屋」と呼ぶ。「今日は風呂屋へ行こか」「風呂屋、もう開いてるで」といった具合で、「銭湯へ行く」とはあまり言わなかった。銭湯という言葉には、私にはどことなく関東らしい響きがある。もちろん意味は同じなのだが、子供の頃から耳にしてきた「風呂屋」という言い方の方が、町の景色や暮らしの匂いまで一緒に伝わってくる気がする。
風呂上がりのベンチの近くには、ちょっとしたオリジナルグッズや、芋松温泉が掲載された雑誌などが並べられていた。昔の面影を大切にしながらも、新しい店主が自分なりの方法でこの場所の魅力を伝え、次の世代のお客さんとつながろうとしていることが分かる。
店主ともしばらく話をした。昔の芋松温泉のこと、以前のご夫婦のこと、変わらず残っている浴室のこと。缶麦酒のほどよい酔いを感じながら話していると、25年という時間が長かったようにも、ほんの少しだったようにも思えてきた。
店を受け継ぐというのは、建物や設備を引き継ぐだけではない。そこに通った人たちの記憶や、地域との関係まで一緒に引き受けることなのだろう。まして風呂屋は、単に身体を洗うためだけの場所ではない。近所の人が顔を合わせ、子供が大人になり、また次の世代を連れてくる。町の時間が積み重なっていく場所である。その芋松温泉を、若い一人の女性がもう一度灯してくれたことは、地元で育った者として本当にありがたい。
地蔵盆が少しずつ復活し、その入浴券をきっかけに、復活した風呂屋へ25年ぶりに足を運ぶことになった。町内会の行事と風呂屋。どちらも、なくても日常生活は成り立つように見える。しかし、そこに人が集まり、言葉を交わし、同じ町に暮らしていることを実感できる場は、やはり町に必要なのだと思う。
芋松温泉を出ると、夜の壬生の空気が、行きよりも少し涼しく感じられた。身体はぽかぽかと温まり、麦酒の酔いもほどよい。昔から知っている道を歩きながら、風呂上がりの気持ちよさは、何年経っても変わらないものだと思った。
毎日仕事に追われていると、近所にある良い場所ほど、つい「いつでも行ける」と後回しにしてしまう。けれど、こういう時間は、わざわざつくらなければなかなか生まれない。
たまには仕事を少し早めに切り上げて、風呂屋へ行く。熱い湯に浸かり、水風呂に入り、上がったあとは缶麦酒を一本。それくらいの寄り道が、案外、明日からまた仕事をするためのちょうどよい息抜きになるのかもしれない。
これからは、25年も間を空けずに、また芋松温泉へ行こうと思う。




