2018.12.31

32年目の決意 デジタルはアナログより優れているのか 【2019への想い】

私たちの生活に、もはやデジタルがない状態は想像できない。
いつの頃からかデジタルというものがあまりにも当たり前になり、日常ではその存在に全く気づかないのが普通だ。

思えばデジタルというものが日々の生活で身近になったのは、私たち50代の若き頃からではないだろうか。電卓の登場や時計のデジタル化が私たちのデジタルとの出会いだったと思う。
アナログという言葉もデジタルの普及とともに使われ出したと思うし、その最たる例が時計ではないか。針があればアナログ、数字で表せばデジタル、私が高校の頃の話だ。

ただ、当時は単純に機械式か電子式かの違いにしか思わなかったことが、現在では根本的に物の考え方や作り方の違いにまで及んでいる。その最も象徴的なものがインターネットであり、そこに付随するネットショップやwebサイト、メールなどが生活の中でなくてはならないものとなってしまった。

物の売り方は実店舗からネットショップへどんどん移行し、物作りにも工程のデジタル化が進んでいる。流通はデジタル技術の進歩によるIoTで正確に管理され、決済もキャッシュレスに移行しているし、AIの技術は日進月歩で様々な分野で正確な情報による分析がなされ、失敗の少ない社会が実現しようとしている。

私たちのデザイン界でもその波は大きく押し寄せ、アナログの写植や紙焼きの時代から、MACによるデジタルデータへと変化しただけでなく、WEBデザインという全く新しい分野まで登場した。今ではグラフィックデザイナーの数よりもWEBデザイナーの数が上回っているし、動画コンテンツやアニメーションまで含めると圧倒的に新分野のビジネス規模が上回っている。さらにいずれ仕事をAIに任せてデザインという行為自体も自動化されるような時代がくるかもしれない。

ただ、本当にこのまま世の中がどんどんデジタル化し、やがてAIが世の中を動かし、人間らしいアナログな手法は衰退してゆくのだろうか・・・・。

私はそうは思わない。

なぜなら人間が人間である以上、発想の出発点と結果の判断は人間自身がするからだ。このことはとても重要でこれからの仕事を考えるうえで大きな判断の指針になると思っている。

例えばオーディオの世界を例にとってみると大変よくわかる。
いくら高級で最新のデジタル装置であっても、そこから流れてくる歌や楽器の演奏は人間が創作しているし、使っている楽器がデジタル仕様であったとしても演奏しているのは人間という超アナログな存在だ。そしてそれが最新のデジタル技術でデジタル化され、チューナーやアンプを通って、少し前ならCDやDVD、現在ではインターネットで拡散される。ところが実際それを入手した人はそれを再生し、スピーカーやイヤフォンなどで空気の振動に変え、人間の耳という超アナログなもので聴いている。
つまり、いくら間の伝達をデジタルでロスなく便利にしたとしても、所詮録音する入り口は口や指先であり、再生した音を聞くのは人間の耳なのである。間の伝達方法はカセットテープからCD、DVD、MDと進化し、今ではインターネットによる配信という劇的なデジタル化を達成しても、入口と出口はマイクとスピーカーというほとんど進化していない原理でアナログをデジタルに、デジタルをアナログに変換しているのだ。

つまり、最初と最後の「感覚」という部分は人間が人間である以上どこまで行ってもアナログであるし、デジタルやAIに取って代わられることはない。いくら世の中がロボットだらけになろうが、アンドロイドがはびころうが人間が人間である以上は普遍だ。

私はここを大事にしたい。
この普遍の部分こそが感覚であり、感性であるのだから私たちデザイナーはそれに気づかずに何でもかんでもデジタルの力に頼らず、自分の手や目、耳を信じていきたい。
人間の目や耳は、何かを感じ取るときアナログの心地よさを知っているはずだ。その原始的とも言える根本の感覚を響かせてこそがデザインであると思うし、またデザイナーの仕事であると思いたい。

32年目に掲げた目標の3つ目はこのアナログに対する想いに世の中の目を向けるプロジェクトを立ち上げたいと思う。
たまたま同じ思いを持っておられる方々との出会いもあり、おもしろいことが起こせそうな気がしている。
アナログだからといって決して伝統工芸というわけでは全くない。最先端のアナログ技術というのもあっていいと思っている。
アナログという定義は非常に曖昧で線引きは難しいかもしれないが、あまり堅苦しいことはいわず、人の手で創り上げたものやサービスであれば何でもありでいいと思っている。「アナログ」という言葉自体をあまり堅苦しいものにしたくないし、本来はっきりした領域なんてないはずだ。
試しにウィキペディアかなにかで「アナログ」という言葉を調べてみられるといいと思う。私たちが普段使っている「アナログ」という言葉は誤用であると記されている場合が多い。だが、そこまで話は及ぶとますます堅苦しいことになるので、ここでいうアナログというのはあえて誤用のままでいいと思っている。それよりもデジタルが最先端を支えるのだという考え方が蔓延した世の中で「本当にそうなのか?」と考えて立ち止まる機会を作れたらそれでいいと思うし、その立ち止まったときに何かを見つけたり、思いついたりすればよいと思っている。

このことを前回書いた自社のメディアでもコンテンツとして扱いたいし、東京へ出て行くコイズミデザインファクトリーという京都の会社の一つの武器にもしたい。それがうちのブランディングであるし、うちにしかできないやり方だと思っている。

そうこういっているうちに2018年も残り数時間となった。
32年目の目標として書きだしたここ数回のブログだが、丁度2019年の目標とも言えるタイミングになったので、2018年から2019年への想いということで締めくくりたい。

2019年、32年目の年にコイズミデザインファクトリーは今までで最も大きな飛躍を目指してスタッフ一同がんばりたいと思います。
どうか皆様、絶大なる後押しをいただけますよう心からお願いいたします。

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