2025.11.7

オールドメディアとネット情報の乖離

オールドメディアとネットの乖離

近年、テレビや新聞といったいわゆるオールドメディアが発信する情報と、ネット空間で共有される情報の間に、深刻な乖離が生じています。特に政治や社会問題の報じ方において、その温度差は顕著です。長年マスメディアが担ってきた「世論形成」の役割が、いまやネット世代にとっては「現実感のない言葉の装飾」に見えることも少なくありません。

オールドメディアの問題としてしばしば指摘されるのが、報道姿勢の左傾化です。戦後日本に根付いた護憲・反権力の価値観は、報道機関の倫理として定着してきました。しかし冷戦構造が崩壊した後も、価値観を更新できずにいるメディアが多く見られます。特定の政治勢力への批判は強い一方で、リベラル勢力への検証は甘く、この構図が「公平な報道」への信頼を損ねています。

とりわけ、グローバリズムや移民、安全保障、言論統制といったテーマにおいて、「日本人ファースト」を掲げる層と、リベラル側の「多文化・共生」を重んじる層の対立は鮮明です。前者は国益と文化の継承を重視し、後者は人権と多様性を訴えます。どちらの主張にも一理ありますが、テレビや新聞が後者の立場からの論調を中心に据え続けるため、前者の意見が「排外的」と一括りにされる傾向が強まっています。これがネット上での反発を生み、結果としてオールドメディアへの不信を加速させています。

報道番組の偏向もまた顕著です。政治ニュースであっても、事実の提示よりも「印象操作」に重きを置いた構成が目立ちます。ニュースの編集方針や出演者のコメントが特定の方向性に傾くことで、視聴者は“情報”ではなく“意見”を浴びせられる形となります。新聞も同様に、論説や社説を通じて特定の思想的立場をにじませることが多く、報道は本来、意見の形成を促すための材料であるべきところ、いつしか「誘導する側」に回ってしまっているように見受けられます。

国民から強制的に受信料を徴収するNHKに対しても、左傾的な報道姿勢への懸念が高まっています。外交・安全保障に関する報道では、現実的な脅威への言及が少なく、どこか「理想主義的な平和観」に立脚した解説が多い傾向にあります。国際情勢が不安定化する中で、国家観を欠いた報道が公共放送としての使命を果たしているのか、視聴者の疑念は深まる一方です。

一方で、こうした既存メディアへの不信を背景に、保守政党や保守的論調を掲げるメディアの存在感が増しています。ネット上では、保守派の論客が独自のチャンネルを通じて情報を発信し、多くの支持を集めています。従来ならメディアの編集を経なければ届かなかった声が、直接的に社会へ届く時代になりました。その結果、国政選挙や世論調査でも「既存報道に影響されない層」が着実に増えているように見えます。

この流れは世代によっても顕著に異なります。中高年層は依然として新聞やテレビを主要な情報源としていますが、若年層はSNSや動画配信を通じて多角的に情報を得ています。ネット世代にとっては、情報は「受け取る」ものではなく「選び取る」ものです。テレビで語られる“常識”が通用しないのは、彼らがすでに異なる情報空間で現実を把握しているからです。

このように、日本の情報環境はいま、戦後最大とも言える分断期を迎えています。メディアが一枚岩でなくなったことは多様性の証でもありますが、同時に“どの情報を信じるか”が個々人に委ねられる時代でもあります。視聴率や広告ではなく、信頼と事実に基づいた報道こそが求められています。オールドメディアがこの現実に向き合わない限り、ネットとの溝はますます広がり、かつての「公共の言葉」は、もはや届かなくなってしまうでしょう。

小泉の雑記帳

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