2018.12.19

32年目の決意 東京

32年目3つの決意の中でも一番大きく、リスキーなことは、これだろうと思う。私はデザイン会社を自分で営むようになってから約30年間そんなことを具体的に思ったことはたったの一度もなかった。なぜなら、京都で自分の事務所を維持して行くだけで必死であったし、若い時から特別東京に憧れを持っていたわけでもないからだ。

ただ、ここ何年かなんとなくモヤモヤしたものが自分の中に出だしたことも感じていた。その気持ちに気づいた原因の一つは、やはりあの東京オリンピックのエンブレム問題ではなかったかと思う。あんな程度の奴らに日本を代表するデザインビジネスを好きなようにされてたまるか・・・・という気持ちがあったし、あの一件で表面化した東京のデザイン界のレベルというのにも正直手が届くのではないかという裏返しの自信みたいなものが湧いたりもした。

さらにそんな気持ちを後押ししたのは、同年代やそれ以上の方々の頑張りである。会社をなんらかの理由で退職したり、定年を迎えてからもなお新しいことにチャレンジしたり、それまでの仕事の集大成を目指したりする人が何人もいたことだ。私はまがいなりにも自分のデザイン会社を30年以上もやってきたが、それは常に自分の射程圏ばかりを狙ってきた結果であり、大きな挑戦のようなことは一度もなかった。世間的には、若くして独立したこと自体が大きな挑戦ではないかと言われるが、実際には若いからこそのやり直しがきくだろうという計算があったし、その当時の事情からして独立せざるをえなかったというのが実際のところである。そういうこともあって、余計に同年代以上の頑張りというのが眩しかったのだ。

そして自分の中でここ何年間か取り組んできた課題がうまい具合に成功しそうな手応えをつかめたことも理由の一つだ。うちの事務所は長年、印刷会社や織ネーム会社、代理店などのデザインの下請けが中心であった。つまり直接クライアントからの仕事よりも、間を介しての仕事がかなりの割合を占めていた。それ自体は別に珍しいことではないし、小規模のデザイン会社というのはそれが最も一般的でもあった。ただ、それでは自分たちのデザインした思いが直接クライアントに届かないだけでなく、間を介することで起こるロスや遠回りが頻発し、ビジネス上好ましくない状況に陥っていた。おまけに事務所全体の中で大きな割合を占めていた販売先の不振や効率化で何年か先まで安定した売り上げがを確保できる保証がなくなりつつあった。その状況を打破するために直接クライアントからの依頼を増やそうと、今までにない販促努力を続けてきた結果、なんとか思い描いていた形にかなり近づくことができた。その自信が東京進出の大きな起爆剤になっているし、自分たちの事務所の能力を改めて客観的に見る機会にもなった。

また、自分の二人の息子が独立の時期にきていることもあり、親としてまだまだ負けてはいられないという思いもあるし、前へ前へと進んでいく姿を見せ続けたい気もする。幸い二人とも創造性のある道を選んでくれたので、なおさらだ。

最後にもう一つの理由、それはずばり私自身の年齢だ。いくら周りの先輩方ががんばっておられるとはいえ、来年56歳になる私にはこれが最後のチャンスであるような気がしている。自分では90才の現役デザイナーを目指して入るものの、やはり年齢には勝てない部分も多々あるし、昨年には入院も経験した。ここでの躊躇は一生の後悔になるかもしれないという焦りも正直言ってある。

結局、来年東京へ進出したい理由は5つ。

●デザインにおいて東京の一人勝ちを許したくない。
●同年代や先輩方のがんばりに触発されて。
●ここ何年かの販拡に対する自信。
●息子たちの独立
●自分自身のタイムリミット

これだけの理由で、ここから先の人生をぶつける対象として東京出店を考えた。私の周りにおられる方々、今までの目標の中で最もリスキーで最もエキサイティングな挑戦をどうか後押し願いたい。(つづく)


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