61
時刻はAM2:35。6月30日になった。
1963年の今日、生まれた私は61歳になった。
世間では定年を過ぎ、65歳までの延長期間に入っている人が大勢いる。
中にはもう定年後の余生を過ごす選択をした人もいる。
3月にあった中学時代の同窓会では、定年を迎え退職金をたくさん貰った人がいるかと思えば、会社が小さいのでほんの少ししか貰えなかったと嘆く人もいた。
私は学校を卒業して20歳でデザイナーになったので、この仕事は41年目になる。そして3年半で会社を辞め、起業したので自分の事務所を持って37年目になる。だから、もちろん私に定年は関係ない。
若いときには50で引退しようなどと冗談を言っていたが、気がつけばこの歳である。
最近その歳せいか「私はこの41年間で、デザイナーとして何を得たのだろう」と時々思うことがある。十分とは言えないがそれなりの売り上げ。
10人に満たないが有能なスタッフ。
自分の城といえる京都と東京のオフィス。
そして最も大切なクライアント。
世間的にデザイナーとしては十分かもしれない。
私自身デザイナーとしての能力は、41年間を振り返ってどうか・・・。
学校ではインテリアデザインを勉強し、卒業後は織ネーム会社でアパレル向けのグラフィックを仕事とした。そこでアパレルという世界に触れ、ものづくりやブランディングの重要性を知った。独立前には会社に勤めながらパッケージデザインや広告の仕事を始め、イラストも描くようになった。起業後は写真の撮影も始め、エディトリアルの仕事や印刷会社からグラフィックデザインの仕事も得た。
そしてバブル崩壊後デザインのデジタル革命。当時私はまだ20代だったこともあり、世の中の動きよりも速くデジタルへ移行することを選択できた。結果的にそれが長くこの仕事を続けてこられた最大の理由となったし、さらにそのデジタルはインターネットを一般化させ、ホームページ制作という仕事をもたらした。勢いづいたインターネット社会はネットビジネスを加速させ、KDFにもオンラインショップ制作やSNSのコンテンツ制作など新しい仕事が舞い込んだ。
こうした長く大きな流れの中で、私自身はいったい何のデザイナーなのだろうと、自分で問うことが何度もあったし、世間からも同じことを数え切れないくらい問われた。正直、自分でも若いうちは中途半端な気もしていたし、周りからももっと絞り込んだ方が良いというアドバイスがいやと言うほどあった。かといって、そのアドバイスに反発していたわけでもないし、自身の信念があって何でもかんでもデザインしていたわけでもない。ただ単に「食えるデザイナー」になるために何でもかんでも来る仕事拒まずの姿勢できただけのことだ。そして、そのやりかたを40年以上続けてきた結果が、今のコイズミデザインファクトリーの業務内容にそのまま反映されている。
でも、気がつけばそのやり方のおかげで「ものづくり」から「エンドユーザーまで」のすべての段階をデザインできる事務所に成長できた。
「食えるデザイナー」になるために41年間がむしゃらに続けてきたやり方がようやくひとつの形になったと、ここ何年か実感できているし、そのおかげで何とかコロナやモンスター社員の出現などの逆風にも耐えることができた。
そして何よりも、コイズミデザインファクトリーは業務内容において唯一無二のデザイン会社になることができた。
もちろん20代の私が今のこの形を意識して目指していたわけではないし、時代や周りの人たちに恵まれたという偶然があったことも事実だ。
ただ、間違いなく自信を持って言えるのは、「こんな事務所5年や10年では絶対に創れない」し、私のように異常な欲深さや図々しさがないと不可能だということだ。何でもかんでもあつかましく仕事にしようとするし、最初は少々失敗してもやり続ける図々しさを41年間続けられたことが私の才能かもしれないし、41年間で得た力かもしれない。
私は、自分でこの欲深さと図々しさが少し気に入っているところがあるので、61歳になった今も自分のやり方を変えるつもりはないし、変えることなどできない。もちろんいつまで?という疑問が自分からも周りからも出始めているのも確かだけれど、まだまだその疑問に対する答えを考える気持ちすら起こってこない。
幸い体は人一倍健康だし、気力も十分。
いろいろなプロフィールに書いている「90歳の現役デザイナーを目指す」というフレーズも、決して冗談ではない。
ただ、62歳になったときにも同じ気持ちでいられるように、運動不足だけは何とかしないといけないと思うので、月に1度のゴルフくらいはなんとか大目に見て欲しい、と想ふ。 2024年誕生日